ちゃらぽこ散歩会「東京23区めぐり」について

ちゃらぽこでは、毎月第4日曜日に定例の散歩会を開催しています。2018年-2019年は、2年かけて「東京23区を『あいうえお順』で1区ずつ散歩する」というテーマで23回シリーズの散歩会を開催しました。

開催からだいぶ時間が経ってしまいましたが、皆さんから、「あの時のコースを知りたい」「当時はまだ参加していなかったけれど、個人的に歩いてみたい」というリクエストをいただき、当時の地図とコースを「ちゃらぽこ推奨お散歩コース」としてホームページに掲載することにいたしました。

なお、このコースを実際に歩いた「ちゃらぽこ散歩会」では、朝10時に集合してだいたい午後4時半~5時ごろまで、1日がかりだったコースです。地図上の距離で8~9キロ、寄り道や施設内での移動も入れたら十数キロと、そこそこの距離になります。
きょろきょろしながらのんびり歩きたい方、朝はゆっくりして午後から歩きたい方は、2~3回くらいに分けて歩いてもいいかもです。

ちゃらぽこコースをご参考に、ぜひぜひ歩いてみてくださいね!

板橋区へお散歩に行く前に、板橋区のことをちょっと

板橋区は23区の北西部に位置し、北は荒川を境に埼玉県と、南は豊島区と、東西はそれぞれ北区、練馬区と接しています。

武蔵野台地の北端にあたり、北の荒川に向かってゆるやかな高低差のある、起伏に富んだ地域です。(今回のコース、徳丸ヶ原一帯では、特にそれを感じることができます)

23区中、面積で9位、人口で7位というまぁわりと普通のところです。
区のできた当初は現在の練馬区も含む広大な区でしたが、昭和22年(1947)に練馬区が分割し、おおむね現在の広さになりました。

五街道のひとつである中山道が通り、江戸時代には江戸四宿のひとつ板橋宿が置かれ江戸の出入り口として大きな役割を担っていました。
※ 江戸四宿とは、江戸時代初めに整備された五街道のうち江戸・日本橋から始まる4つの街道の最初の宿場で、ここ板橋宿(中山道)のほかは品川宿(東海道)、内藤新宿(甲州街道)、千住宿(日光街道)。今も23区内にある宿場で鉄道の主要駅が置かれる大きな街なっていますが、往時から街道の旅のためだけでなく江戸の遊興地としても賑わっていました。

現在は埼京線の板橋駅がありますが、埼京線は板橋区の東の端をかすめる経路をとっているため駅の南半分は豊島区。東は北区になっています。東京の出入り口としては、今は赤羽駅(北区)の方が栄えていますね。
区の南端を東武東上線、北寄りを都営三田線が通っていますが、ターミナルとなる駅はほかにはありません。

都営三田線の通る北部の高島平団地は、昭和40年代から入居が始まり、当初は東洋一のマンモス団地と呼ばれていました。

東京23区めぐり散歩・板橋区編マップ

蓮根駅からお散歩に出発!

板橋区散歩の出発は、都営地下鉄三田線の蓮根駅から。なんとなく、地元の人以外にはあんまり降りることのない駅のひとつでしょ……ということで。

駅を出ると東側に、板橋区立城北交通公園という大きな公園があります。まず最初の目的地はその公園。ってことで公園に向かって歩いていたら、北側の入り口の近くにこんな歩道橋が。……歩道橋の階段が、道のど真ん中に!「どうしてこうなった!?」と、のっけから大盛り上がりでした。

ここは蓮根駅の北を通っている高島通(都道446号)を渡る歩道橋の南側。歩道が狭くて階段を設置できなくてここまで延長したのでしょうが、歩道橋を使うために横断歩道もない車道を渡るって、ちょっと斬新で面白いですね(^^;;

いきなり横道ネタで失礼。城北交通公園に入ります。D51-513型蒸気機関車・通称デゴイチや、昭和の都バスなどが展示されています。乗り物好きにもそれほどでもない人にも、ちょっと楽しい公園です。

公園内には桜の木がたくさんあります。板橋区の散歩は3月下旬で桜が綺麗な時期だったので、ここからお花見散歩を楽しむことにしました。城北交通公園は、「城北公園」という広い公園の北3分の1くらいにあり、南側は野球場となっています。この野球場の脇の桜並木を通って、公園の南へ。
汽車や桜を楽しんだ後は、蓮根駅の南側で線路を越えて、西に向かって歩きます。

植村冒険館(現在は板橋区加賀に移転)

蓮根駅は、駅前の商店街を一本外れるとすぐに住宅地となります。その住宅地を西に進んでいくと、植村冒険館という建物がありました。

写真は散歩会の時のモノですが、現在は板橋区加賀(最寄り駅は都営三田線・板橋区役所前駅)に移転してしまいました。なのでこの散歩コースで寄ることはできませんが、内容はとても良かったので、参考までに載せておきます。

⇒ 現在の植村冒険館のHP 植村冒険館 Uemura Adventure Museum - 植村直己 Naomi Uemura - 東京都板橋区 (uemura-museum-tokyo.jp)

世界的冒険家の植村直己さんの業績を紹介する小さなミュージアムで、装備品や写真などが展示されています。
この時の建物は周囲のマンションなどと変わらない大きさで、えっ、こんな住宅街にひっそり!?とちょっとびっくりしたものです……。

植村直己さんは1942年、兵庫県豊岡市(現在)生まれ。1970年に日本人として初めてエベレスト登頂に成功した登山家で、同年にマッキンリーの単独登頂に成功し、世界初の五大陸最高峰登頂者となりました。
出身地の豊岡市にもミュージアムがありますが、エベレスト登頂の前年1969年から1984年にマッキンリーで消息を絶つまで板橋区に住んでいたことから、1992年にこの「植村冒険館」が開館しました。(後半で行く赤塚のお寺にお墓があります)

現在のミュージアムはさらに見どころも増えたようで、興味のある方は時間に余裕を持って行かれるのが良いかも。

植村冒険館を出て、西へ……向かうハズが!この時の散歩会では、ちょっとしたコース変更がありました!

西台方面へ、ちょっと寄り道

ここで、当初の散歩マップに載っていない寄り道が。植村冒険館でもらった板橋区マップを見ていた参加者さんから、「近くに馬頭観音堂があると書かれているから見に行きましょう!」という声が。ま、そんな気まぐれなコース変更もありな散歩会です。

さらに西に向かう予定から、ルートを変えて北へ進路を変えて西台の駅近く。都道の大通り沿いに立派な馬頭観音堂があり、お堂の中に素敵な馬頭観音像がありました。

お堂の脇に庚申塔があったのですが、文字だけ庚申塔と思いきや下にとっても楽しそうな三猿が! これはカンゲキでした。寄り道してみるものですね!

西台駅前まで来たついでに、周囲に飲食店もたくさんあるのでここで食事にしました。

当初の予定では、蓮根から南西に進んだ首都高に沿いにファミレスがいくつかあるので、そこらへんで食事の予定でした。なので、西台まで寄り道するのはちょっと……という方はその辺りにも食事どころがたくさんありますよ!
(または西台駅からスタートして城北公園に寄り道してもいいのですが、植村冒険館もなくなってしまったので、デゴイチにさほど興味がなければ蓮根駅&公園はパスしてそのまま南下しちゃっても。お好みに応じてコースをカスタマイズしてください)

さてさて。西台駅前の、「西台駅南」交差点から大通りを南下して、コースを元に戻します。

お店もたくさんある大通りを行くと、またまたスゴイ歩道橋がありましたよ! 橋の銘によると昭和51年12月竣工という「蓮根歩道橋」。

二つの交差点(しかも一つは首都高も通る五差路)をまたぐ巨大な歩道橋で、真ん中に吹き抜けのような穴のある変わったデザイン。なにしろスケールが大きくてかっこいいのですが、橋上で方向を見失って間違った場所に降りてしまおうものなら一生後悔しそうな広大さです(大げさ)。

前谷津川緑道

歩道橋を渡って西に進路を変え、300mほど首都高沿いに進んだら、大東大前の分かれ道で首都高と分かれて前谷津川緑道に入ります。前谷津川は、赤塚から高島平で新河岸川に合流する全長5キロ足らずの小さな川でしたが、昭和50年代に暗渠化され現在は緑道となっています。

ここからは、緑道を歩いたり逸れたりしますが、だいたい前谷津川をさかのぼっていくような感じで西に向かいます。

やっぱり桜の季節だったので、今回歩いた区間の前谷津川緑道は良いお花見コースでした。桜の季節を逃しても、緑道脇のお花が楽しそう。

徳丸散歩

緑道をひたすら歩いて行くと南に行きすぎてしまうので、途中で西へと緑道を離れて住宅街に入ります。

不動通りという大き目の通りを渡った瞬間、目の前に大変な急坂が……。「え、これ登るの……?」とざわつく一行。はい。登ります。

この坂道が、このあたりの地域の見どころのひとつかも。

スタートした蓮根駅や西台駅、ゴールとなる高島平団地といった都営三田線の走っているラインは、新河岸川(かつては荒川)の流域で、低地になっています。団地の開発が始まる前は、一帯は水田でした。
現在は団地や住宅地が広がっていて見通しはききませんが、幕末には「高島平」の地名の由来である高島秋帆が砲術訓練を行った(そのくらい何もなかった!)ほどの平べったい地域だったようです。※ 高島秋帆についても後編でまた出てきます。

一方、その南西の徳丸、若葉、赤塚というのは、荒川から武蔵野台地へ登った高台になっていて、こちらは近代よりも前から人が住んでいた地域です。これから坂を登ってそのエリアに入ります。

登っていった先、徳丸ヶ丘公園にはこんな像が。こちらは区画整理事業の記念碑なのですが、起伏の激しい土地で、荷運びも大変だったという像で……これは大変そう!!

徳丸ヶ丘公園から少し西に行くと、郷土芸能伝承館という建物があります。

さらにそのすぐ北側には、徳丸北野神社。995年創建から1000年以上。板橋区最古と言われる神社です。毎年2月11日に、ここともう少し西の諏訪神社で行われる「田遊び」という神事は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
天神さんなので撫で牛もいるし、早春の時期は梅の花も綺麗。

北野神社を出て、もう少し北に向かいます。これまた住宅街の中に、さりげなく一軒、周りの建物と明らかに違う茅葺屋根の古民家が。ここは、旧粕谷家住宅。江戸時代、現在の徳丸の一部である徳丸脇町の名主を務めていた粕谷家の隠居宅で、享保年間(1716-1736年)築と関東地方でも最古級の古民家です。

この粕谷家住宅、散歩会で訪れる少し前まで2年がかりで修復工事が行われていたのですが、工事中に享保8年(1723)の建築であることが判明し、2018年の3月(ちょうど散歩会で行った頃です)には都の文化財に指定されています。
内部に上がって内装なども見られ、ガイドさんが解説もしてくれるので、ぜひ時間を取ってどうぞ。

23区内には9軒の古民家が残り、文化財に指定されて一般に公開していますが、移築されずにもともとの場所にそのまま建っているのはここと江戸川区の一之江名主屋敷(次回の江戸川区編で行きまーす!)だけなんだとか。

ちょっと北に回り道しましたが、元の通りに戻って前谷津川沿いに西に向かうことにします。

と、公園の脇にこちらの庚申塔が。「窪口の庚申塔」と呼ばれ、近くの区画から移転してきたものですが、寛延3年(1750)の造立というのでこれもまた古いですね。(庚申塔大好きなちゃらぽこ散歩会の一行は、かなりの食いつきっぷりでした!)

ちなみに本日2カ所目の庚申塔ですが、この地域もかなり庚申塔が多いようです。それをめぐってみるのも楽しいかも!

もう少し南に行って、さっきの徳丸ヶ丘公園から西に延びる道まで戻ってきました。この道は「徳丸槙の道」という名前の付いた、槙並木になっています。ちょっと珍しい形の街路樹ですね! そしてまた、結構なアップダウン。

槙の道を西に進んで左手に、水車公園があります。ここには徳水亭という板橋区の施設の茶室と庭園、水車小屋があります。
ここで、この少し南側を流れていた先ほどの前谷津川と再会します。もともとの川は暗渠となって流れは見えませんが、公園には小さな小川があり、水車小屋はあたりに川や水田があったころを再現したものだそうです。

水車小屋を過ぎるとすぐに西側で国道17号、新大宮バイパスの高架をくぐります。
ここでまた、先ほど少しだけ歩いた前谷津川緑道に入ります。
(GoogleマップのFのところです。線引きが上手く行かなくてグネグネしてしまっていますが、ここは真っすぐ前谷津川緑道で17号線を越えられます。)

先ほどの気持ちのいい感じのお花見散歩道とはちょっと雰囲気が変わって、住宅に挟まれた狭い道になってしまいました。

前谷津川緑道はこの少し先の、しのがやと公園まで続きますが、散歩会はその手前、下赤塚駅とこれから向かう東京大仏を繋ぐ赤塚中央通り(東京大仏通り)を右に曲がってまた北に向かいました。

さてさて、徳丸・四葉という地域を歩いてきました。住宅地の中にこんなものが⁉という隠れた見どころの多いエリアでしたが、ここから後半は赤塚・高島平といったまち歩きでも定番の観光地(?)に突入します。

後編をお楽しみにどうぞ!(次回に続きます!)

【おまけ1】

本文中にも書きましたが、庚申塔の多いエリアです。今回は行きませんでしたが、前谷津川緑道から往復15分くらい寄り道すると、こんな個性的な庚申塔と、馬頭観音も。ほかにも少し足を延ばしたらいろいろ見つかりそうです!!

【おまけ2】

古民家の旧粕谷家住宅の脇には、以前はお蕎麦屋さんがありました。粕谷家住宅が区の施設になる前の、最後に住んでいた女性が始めたお蕎麦屋さんで、のちにほかの人の経営の「爽風庵 槙」というお店となっていましたが、散歩会で行った1年後くらいに廃業してしまったようです。

小さなお店なので、今回の散歩会の昼食は別の場所にしたんですけれど、10年くらい前の散歩会でこのあたりを十数名で散歩したときに寄りました。「そばいなり」という中身がお蕎麦のおいなりさんは「板橋区のいっぴん」にも取り上げられていて美味しかったんですよ! そばがきの入ったお汁粉も良かったです。またどこかで復活してくれたら嬉しいのですが、どうでしょうね。