3月24日(日)は、定例の第4日曜の山手線駅めぐり散歩会! 今回は山手線、五十音順で19番目の高輪ゲートウェイ駅から20番目の田端駅に向かう途中の、神谷町からスタートしました。

お天気が心配だったこの日の一行は、参加者さん17名+ぱきら。たまにちょっと空が明るくなるものの、夕方から降り出すかもというドキドキの1日でしたが、無事に雨より先に田端駅に到着しました!

当日のコース

神谷町駅 ⇒ 天徳寺 ⇒ 愛宕トンネル ⇒ 栄閑院(猿寺)⇒ 虎ノ門 ⇒ 日比谷公園 ⇒ 皇居外苑(お昼ごはん)⇒ 皇居・乾門の通り抜け ⇒ 靖国神社の桜の標準木 ⇒ 築土神社 ⇒ 滝沢馬琴の井戸跡 ⇒ 三崎稲荷神社 ⇒ 水道橋 ⇒ 讃岐金刀比羅宮東京分社 ⇒ 本郷・西片あたりの路地めぐり ⇒ 福どら(どら焼き)⇒ 千駄木公園 ⇒ ⇒ 千駄木の路地めぐり 田端台公園脇(線路の見降ろせるポイント) ⇒ 田端駅南口

神谷町をスタート

10:00、スタートの神谷町は、東京メトロ日比谷線の駅。どこ?と言われる駅のひとつではないかと思いますが、港区は虎ノ門のちょっと南、東京タワーのお膝元です。

オフィス街のイメージでしたが、東京タワーに加え今は麻布台ヒルズの最寄駅ということもあってか、日曜午前の都心というのにそこそこの人が駅を利用していました。

そんな中、駅前の交差点に集合して田端へ向かって出発!

北に向かって少し進むと、道沿いにお寺がちらほら見かけられます。この辺りはお寺が多く、オフィスビルの間に看板建築や古い建物もちょこちょこ。
北には虎ノ門ヒルズ、南には麻布台ヒルズという新オシャレエリアですが、大きな商業施設やビルが並ぶ1号線の表通りから一本入ると、がらりと雰囲気が違うまち並みがまだまだ楽しめます。

いくつかのお寺に寄ってみます。

天徳寺

天徳寺は、1533年に現在の皇居の中である紅葉山に開山されたと伝わるお寺で、1611年に現在の場所へ移転しました。浄土宗江戸四ヶ寺のひとつとされ、鎌倉時代の板碑が残っています。

「鎌倉時代の造立刻銘をもつ種子板碑の典型であり、港区内には稀少な存在である。」と、門前にわりと大事そうに港区教育委員会の説明板が建っている……のですが……すごい地味な場所にある!!
一同、「え⁉ これ⁉」となったのでした。

なお、江戸中期の儒学者・高芙蓉と、明治から昭和の書家・河井荃蘆(せんろ)のお墓があります。

愛宕トンネル

天徳寺のすぐ東側に、いかにも歴史のありそうな雰囲気のトンネルがあります。
こちらは昭和5年竣工の、愛宕トンネル(愛宕隧道)。

愛宕山は、23区内の天然の山で一番高いということで知られる山(って言っても標高25.7m!)で、山の上には愛宕神社があります。東側の崖を一気に登る「出世の階段」でも有名ですね。
こちら神谷町側は、出世の階段とは反対側の西側の山麓となります。

以前ほかのコースで行ったので今回は行きませんが、上の写真のトンネル左側にちょっと見えている矢印のところに階段があって、そこを登ると愛宕神社に行けます。(以前行った時は、出世の階段を上ってこちら側の階段を下りてきました)

さてさて、この愛宕トンネル、古くてかっこいいのですがスゴイのはそれだけでなくて、23区内唯一の「山岳トンネル」なんだそうです!
まあ……一番高い山で、25mですからねえ……。(トンネルの上部、ちょっとしかありませんね)

ちなみに、「”天然の山で”一番高い」という注釈の付く愛宕山ですが、23区最高峰は新宿区にある箱根山の44.6m。ただし箱根山は人工の築山なので、天然の山ではこちら愛宕山がトップとなります。

栄閑院(猿寺)

一本西側の道に戻って、少し北に進みます。すぐに右手に、栄閑院というお寺が見えます。門前に「都史跡 杉田玄白墓」と書いてあるのを見て入ってみますと、「猿塚」という気になりすぎる文字の碑と、狛犬よろしく本堂の前に座る2匹の猿!!に全部持っていかれて、杉田玄白の墓のことを忘れます。

はい、こちら栄閑院、江戸初期に先ほどの天徳寺の塔頭として創建されたそうですが、「猿寺」の異名があります。

猿回しに扮した泥棒が、このお寺の住職さんに説得されて改心し、猿を残して行脚の旅に出た……という話が伝わっているのです。(猿回しが滞在し、この寺で芸を披露していたのでそう呼ばれるようになったとの説もあります)
なんか言われてみたら、向かって左の狛猿(?)さん(写真3枚目)、悲しそうな遠い目をしてるよね……「あいつ(泥棒)、今ごろどこで何してんのかな……」みたいな。と、薄っすら涙を浮かべる一行。

ちなみに向かって右の、居直った感じのお山のボスザル風お猿さんは、数年後の姿ではないかとこの時まことしやかに囁かれていました。

本堂の屋根にはこのほかにもお猿さんがいます。狛猿(?)入れて全部で6匹。行かれた際には探してみてくださいね!

あ、杉田玄白の墓も……あります。(丁寧に案内してくださっているので、迷わずにお参りできました!)

杉田玄白と言えば、1月の日光街道さんぽでは南千住の回向院で「解体新書」の碑を見ました。

杉田玄白は、江戸時代中期の医学者・蘭学者で、日光街道沿いにあった小塚原刑場で処刑された罪人の遺体の腑分け(解剖)に立ち合い、オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳した日本初の西洋医学の翻訳書である「解体新書」を完成させた人です。
以前のお散歩で見た人やモノに、ほかの場所をお散歩していてもう再び出会うのは、楽しいですね!

都史跡、杉田玄白の墓

虎ノ門へ

虎ノ門ヒルズの脇を回ってさらに北上し、地下鉄虎ノ門駅のある虎ノ門交差点付近に向かいます。
路地も名残惜しいところですが、国道1号に出てもちょっと惹きつけられる建物や何かがいっぱいで、飽きません。

店名のフォントが印象的な東京カツプ(カップ)は、トロフィーなどのお店。余談ですが、この後1日なぜだか徽章店がたびたび現れます。今回の道筋は、徽章商店街??なんて何度か話題に。

イマイチ可愛くないパンダがこっちを見ているエアチャイナのビルに、どうしてこうなった⁉な一通矢印のオブジェ。

道の左右に見えるあれこれに盛り上がりながら、虎ノ門の交差点へ。

虎ノ門の虎

現在ではまちの名前になっている虎ノ門ですが、もともとの虎ノ門とは、江戸城外堀に置かれた門のひとつです。

虎ノ門という地名の由来ははっきりしません。西の聖獣である「白虎」から来ていて、江戸城の西にあるから虎ノ門と呼ばれたという説がありますが、地図を見れば一目瞭然、ここは全然「江戸城の西」ではありません。むしろ真南。
ほかに、前回の散歩会で立ち寄った麻布十番の「善福寺」というお寺の、虎の方角(こちらは十二支の寅ということで、北東)の門であったことが由来という説も。善福寺は確かに浅草寺に次ぐ江戸で最も古いお寺のひとつなので、地名の由来になっていても無理はないのですが、そうは言っても「なぜ善福寺」と、ちょーっとコジツケ感が無きにしも非ず。

ってことで、地名の由来は不明ですが、ここには虎の像がいます。勇ましい咆哮姿だけど、小っちゃくてちょっと可愛らしいんですよ。

虎ノ門の交差点で進路をちょっと東に変えて、次の西新橋一丁目の交差点でまた北に向かいます。そのまま真っすぐ行けば日比谷公園の南西の角に至ります。

なお、虎ノ門の南側のエリアはただいま再開発工事中。
こまごまとした商店、飲食店や雑居ビルが立ち並んでいた一区画だと思うのですが、完全に取り払われて広い工事現場になっていました。少々もの寂しいような、完成が待ちわびられるような、フクザツな心境です。

日比谷公園から皇居外苑

虎ノ門を過ぎて西新橋一丁目の交差点から北に向かうと、まもなく日比谷公園が見えてきます。

交差点手前側、公園の向かいには、いくつかの種類の桜の木が植えられています。今年の桜の開花予想日(たしか20日ごろだったと思うんですが)を過ぎたこの日24日でも、ソメイヨシノはまだまだ開花宣言には程遠そうなツボミの固さでしたが、他の種類のサクラはちょこちょこと花を開いていました。

ソメイヨシノの元となった品種のひとつ、エドヒガンは綺麗なピンク色の花を数輪つけています。”桜と言えば”、”お花見と言えば”のソメイヨシノは、このエドヒガンとオオシマザクラの交雑種です。

このあと結局、靖国神社の「桜の開花宣言」の標準木まで見に行ったんですけど、ソメイヨシノの開花はまだもう少し先のようでした。

日比谷公園(かもめの広場)

交差点を渡って、日比谷公園に入ります。ここも散歩会では何度か来ているので、さらりと園内西側のルートを通って皇居に向かうことにします。

日比谷公園南西角の入り口には、「かもめの広場」という小さなコーナーがあり、「郷土の森」として日本全国の「都道府県の木」が集められています。空欄になっている県があったり、都道府県の木レベルなのに名前も知らないような木があったりで、案内板を見てあーだこうだと言うのも結構楽しい♪

園内中央のお手洗いに寄りながら、公園西側のルートを北上して皇居の南隅にやってきました。
皇居の中に入る前に、皇居外苑の芝生でお弁当タイムにします。

皇居外苑

皇居外苑は、楠木正成像のある広い芝生の公園です。食堂もあるのでそこで昼食にもできますが、だいたい混雑しているので(今はバスツアーやインバウンドの観光客で特に大賑わい!)、ここはあらかじめスタート地点のコンビニで買ったおにぎりやパンやお弁当で、芝生にレジャーシートを敷いてのお昼ごはんとなりました。

で、楠木正成像。


靖国神社(これから行きます)の大村益次郎像、上野の西郷隆盛像と並んで「東京三大銅像」と言われる像です。

この像、正面は銘板の付いている東向きの面。なんですが、楠木正成の顔は正面から背けられて反対側を向いています。反対側にあるのは、そう、皇居。皇居を守る図にとすると背を向けることになってしまいますが、天皇陛下にそっぽを向けてしまっては失礼だから? ……なんにしてもかっこいい銅像ですね!
正面からだと顔が見えないのが少々もどかしく。現に、写真を撮る観光客はみんな顔側を撮っていて、正面側は全然人がいませんでした。(どう見ても「裏」ですよね!)

特別公開、皇居・乾通りの通り抜け

お昼を済ませて12:00。いよいよ皇居に入ります。タイミング良く、特別公開の乾通りの通り抜けができる時期だったので、今回はそこを通って乾門から北に向かうことにしました。

乾通りの通り抜け

乾通りは平成26年に上皇陛下の傘寿を記念して一般公開され、翌年から毎年、春と秋の1週間程度の特別公開を行っています。

初期の頃のニュース映像を見て大混雑を心配していたのですが、「今はそれほどでもない」という声もあり恐る恐る行ってみたところ、入場の待ち時間も全然なく中も混雑というほどのことはなく、快適に歩けました。
長時間立ち止まらずに進むようにという指示はありますが、ちょっと止まって建物を見たり写真を撮ったりするくらいの余裕はあります。

この日は日曜とはいえ天気も怪しい日だったし、桜もまだまったく咲いていなくて千鳥ヶ淵あたりと抱き合わせで来る人も少なかったと思うので、特に空いていたのかもしれません。桜や秋の紅葉の時期はもう少し混んでいるかも。(この後で通った卒業式の武道館周辺のほうが混んでいたくらいです……)

入場のチェックは、並んではいませんでしたが東御苑よりも少し厳しめです。手荷物を開けて中を見せるのは東御苑と同じですが、ペットボトルは一口飲んで見せるのと、金属探知機のボディチェックがありました。

とはいえスムーズに園内に入って、普段は見られないエリアのワクワク散歩。

宮内庁の建物、カッコいい。玄関もカッコいい。窓の格子がオシャレ!(余談ですが、このすぐ後で宮内庁がインスタを始めたというニュースで建物が映って「おーっ♪」と思いました)

普段は見られない側の石垣も。いつも東御苑の方から見る富士見櫓も、新鮮な感じです。そしてやっぱりみんな写真撮る、宮内庁のマンホール。

道灌堀を見たり芝生の草を見たりしながら、乾門へ。楽しい特別公開でした。また来たいです。

九段下から水道橋へ

皇居を乾門から出ると、すぐ目の前に北の丸公園。こちらも何度も通っていることなので、軽く草花でも見ながらさらりと抜けます。武道館が大学の卒業式で周囲が大賑わいなので、そこらへんも足早に抜けて靖国通りへ。

実は靖国神社は当初予定していた立ち寄りどころには入っていなかったのですが(だって参道が長すぎて神社まで行くと遠いんだもん!)、桜のつぼみもだいぶ膨らんできた!今日明日に開花宣言だったらどうする!?となって、急遽「桜の標準木」だけ見に行くことにしました。

何人か参道のビールに引っかかりそうになって大変でした。

靖国神社(大村益次郎像と、桜の標準木)

先ほど楠木正成の像のところで「東京の三大銅像」と書きましたが、靖国神社の大村益次郎像もその一つです。思いがけず2つ見ちゃいました!

参道を進んで、拝殿の右奥、遊就館の手前に桜の木があります。こちらが東京の開花宣言の判定に使われる標準木。きっちり囲われていて説明版も付いているので、迷わず分かります。

桜の標準木はといえば!ハイ!ぜーんぜん!一切!咲いてませんでした!
マスコミも気象庁の人もいませんでした!

気象庁よりも先に5輪見つけてしまったらどうする?という心配終了。でも、今年の開花のニュースでこの木が映っているのを見るのが楽しみになりました。

靖国神社を出て、水道橋の方面に向かいます。
ビルの中に入っている築土神社に寄り道お参り。

築土神社

築土神社(つくどじんじゃ)は、940年に上平川(津久戸村とも。現在の大手町あたり)に平将門の首をまつり塚を築いたのが始まりです。今の将門の首塚のあたりですが、その後、太田道灌によって田安(現在の九段下あたり)に移転。
江戸時代になると江戸城の拡張のため飯田橋駅の北にある筑土八幡町に移転しました。ここが、現在の筑土八幡神社です。以前これまた別のコースの時に寄った、桃を持った猿の庚申塔がある神社です。

なにやら築土、津久戸、筑土といろいろ出てきて紛らわしいですが、全部「つくど」です。

移転を繰り返し現在の場所になったのは1954年(昭和29年)のこと。
入り口は新しそうなビルなのですが、中に入ると意外と大きな社殿が。

拝殿の前の狛犬さんは、神社が別の場所にあった1780年(安永9年)に奉納されたもので、年代が明らかなものとしては千代田区最古とのことです。勇ましそうな狛犬さんです。

滝沢馬琴の井戸跡

築土神社を出て西に進むと、これまたビルの中に「滝沢馬琴の井戸跡」という案内板が建っています。

「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴(曲亭馬琴)がこのあたりに住んでいて、ここの井戸で硯に水を注いだり筆を洗ったりしていたため「硯の井戸」と呼ばれていたとか。
なお、井戸は関東大震災で失われましたが、このビルのエントランスに井戸を復元したような小さなお庭があります。

滝沢馬琴の名前も東京を散歩していて何度か見かけましたが、この地には1793年にここで履物商を営んでいた金田家に婿入りしてから1824年に神田に引っ越すまで住んでいたということなので、結構長くいた場所ですね。

馬琴の井戸を出て、水道橋方面に向かいます。

水道橋周辺

三崎稲荷神社

水道橋駅のすぐ南側の三崎稲荷神社に寄り道お参り。

三崎稲荷神社は、創建は鎌倉時代かそれより以前とされていますがはっきりしません。何度か移転を繰り返し、現在の場所にやってきたのは1905年(明治38年)のことですが、江戸時代から旅行安全のご利益があるとされ参勤交代の大名にも崇敬されていたとか。

鳥居の脇に草鞋の「道中安全祈願」が。ここはひとつ念入りに、散歩安全をお祈りしましょう。

讃岐金刀比羅宮東京分社

さてさて、三崎稲荷神社を出て中央線の線路をくぐり、水道橋で神田川を渡ります。

時刻は14:00を回って、「やっと中央線!」となりましたが、ここから山手線の北の端っこ田端まで歩きます!

後楽園のアトラクションが左手に見えてきますが、その手前で右に曲がってもう一社。讃岐金刀比羅宮東京分社にもお参りします。
ここもオフィス街の大通りを一本入った裏通りにひっそりとある神社。大通りから覗くと小さな神社に見えますが、路地を曲がるととても立派な社殿が現れます。

名前から分かる通り、もちろん総本宮は「讃岐の金毘羅さん」で知られる香川県の金刀比羅宮です。

実はこの日、スタートして間もなくにも虎ノ門の金刀比羅宮のすぐ近くを通ったのですが、前にも寄ったし、道の向こう側だし……とスルーしてきちゃったんですが、虎ノ門の金刀比羅宮は讃岐丸亀藩の京極家が三田の江戸藩邸に勧請したもの。

一方こちらの金刀比羅宮は、江戸時代後期に板橋宿の名主の板橋市左衛門の邸内祠として祀られたのがはじまり。これまた移転を繰り返し、明治期には深川古石場町に移転して「深川のこんぴらさん」と親しまれてきましたが、戦災で焼失。戦後に讃岐高松藩の邸内社であった水道橋金刀比羅神社の用地を寄進され、二つ合わせて現在の場所になったそうです。

ちなみに金刀比羅宮は虎ノ門をはじめ全国に数々ありますが、総本宮の直轄の分社は全国で6社、そのひとつの東京分社がこちらということ。

ここにはちょっと面白い狛犬さんがいます。向かって右側の狛犬さん、持っている毬がデカい! お腹いっぱいポンポコリンかなと思ってしまうんですが、じゃなくて玉乗りです。(広島型というんだと参加者さんから教えていただきました)
毬を持っている狛犬はよく見かけますが、にしても大きいですね!

顔もなんとなくユーモラスで、ご機嫌そうです。

それではここからは、ざくざく北上します!
文京区名物?坂を上って下りて、「せっかく上ったのにー」のアップダウンが続きますよー!

文京区の住宅地を北へ

本郷・西片、路地めぐり

後半は、神社やお寺などの大きな見どころはあまり立ち寄りませんでしたが、路地めぐりが楽しい本郷、西片という地域。
どこも寄らずに歩いているだけでも楽しめます。個人のお宅なので、あんまりわちゃわちゃ集まって騒いだり写真を撮りまくったりもできないんですが、でも楽しいですね!

大人数の見学は困るようなので行きませんが、近くの「樋口一葉旧居跡」なども良い雰囲気。

樋口一葉のみならず、作家や学者、文化人が多く住んでいた地域なので、歩いていると誰々の旧居跡という看板によく出会います。

文化人の旧宅跡が多い

今回通ったのは、金田一京助・春彦の旧居跡と、山極勝三郎の住居跡。

山極勝三郎は医学博士で、1915年(大正4年)に人工的に癌を発生させる実験に成功し、世界の癌研究に大きな貢献を果たしてノーベル賞の有力候補にもなった人です。
同時期に同じく人工癌の発生に成功したデンマークの学者が受賞したこと(ただし後から間違いが分かったとか)、当時の世界の学術界ではまだまだ日本の地位が低かったことなどあって、受賞には至らなかったそうです。

今回は田端までの通り道のみでしたが、他の道に入ればまた誰かの案内板があるエリアなので、そればっかり見て回る散歩会もしてみたいです!

白山から千駄木を北上

さらに北に向かいます。気づけば午後3時を回っておやつの時間!
ということで、白山駅近くの和菓子屋さん、福どらさんで、どら焼きを買っていきまーす!

実はここ、以前別のコースで今回のコースとクロスする形で通った時にも寄ったお店。(さっきからさんざん「前に来たから今回はパス」とか言いながら、おやつは別!)

いろんな味のどら焼きがあります。みんなそれぞれに好きな味のどら焼きを購入。私は珈琲あんにしました。

休憩の予定場所までもう一息あるから、食べ歩きにしようと思ったんですが、半解凍の状態で売られているので少し時間が経った方が美味しいということで休憩場所まで持ち歩き。

住宅地の中にある千駄木公園で、どら焼き休憩です。まだ中の珈琲あんが冷たくて美味しかったです!
ちょこっとした遊具のある、わりと広めの公園。公園内に電話ボックスがあるのって、今時ちょっと珍しくないですか?

休憩を終えて、後はゴールの田端駅まで1.5kmほど。一気に行きます!

ここらへんは「谷根千」と呼ばれる散歩コースとしても人気の地域。普通に道を歩いているだけでもまちの雰囲気が楽しめます。
というか、路地めぐりを楽しむという点では、谷根千の観光スポットを回るよりも楽しいかも。景観が売りの観光地などで「ガイドブックに載っている場所よりも別の区画や路地が素敵」というケースはよくあります。ただ、なにぶんそこは普通の住宅地なので気を使います。

先ほどの本郷、西片あたりの路地もそうなのですが。
地元の人が「ここは観光客が来て良い場所」と認めている場所ではないわけで、普通の生活ゾーンなわけで、そんな場所に立ち入って楽しむのは少々はばかられるのですが、一方で、そういう場所が面白いのがまち歩きだったりするジレンマです。

せめて行儀よく歩かせていただきたいと思います。

ということで、素敵な路地や建物は多々ありましたが、ここらへんで気になったモノを抜粋で。
謎の道標?と思いきや、「酒屋へ三里、豆腐屋へ二里」と彫られた石柱でした。「人里離れた不便な場所」というたとえだそうです。なんでコレ建てたんでしょうね!
それから、「ザ・銭湯」と言った店構えの銭湯と、道灌山坂近くの細道。壁がなんとなくいい感じ。

(次回は田端駅スタートでまた南に向かうので、もうちょっとこのエリアをうろつきます)

坂道を上るとそこは崖になっていて、眼下にたくさんの線路を見下ろす場所に出ます。
左に曲がれば本日のゴール、田端駅。

夕方もしかしたら雨が降るかもしれないという予報で雲行きが心配になってきていましたが、駅はすぐそこという安心感で、少しの間、線路を行きかう電車を見物。並んだ線路の向こうの高架は新幹線です。

それにしても線路に面したこの崖、スゴイですね! 田端駅と言えばまさにここが映画「天気の子」の舞台として話題になりましたが、「たしかに東京の多くが水没しても、この高さなら……?」と体感できます。

何本か電車と新幹線を眺めて、田端駅南口にゴール!
田端駅は、北口は大通りに面していて駅ビルもあっていかにも現代風な立派な駅舎ですが、南口のこの、「あの山手線の駅」とは思えない小さな可愛らしい木造駅舎は昭和3年築。

大正13年築の原宿駅が建て替えとなってしまった今となっては、昭和2年築の鶯谷駅南口駅舎と並んで、山手線で最も古い現役木造駅舎のひとつです。
ローカル線の無人駅みたいな佇まいの静かな駅舎ですね。建物財産標に「昭和3年」の文字がありました。

さてさてそんな田端駅。長らくの間、山手線の29駅の中で最も利用者が少ない駅3位に入っていました(1位が鶯谷駅、2位が目白駅)が! 高輪ゲートウェイ駅ができて30駅となった現在、高輪ゲートウェイ駅が1位に浮上し4位となっています。

前回通ってきたばかりの高輪ゲートウェイ駅。駅の周りは大工事真っただ中でしたね。工事が終わって駅周りの街が完成したら、この順位はどうなるのか楽しみです。

次回はここ田端駅から、次の田町駅を目指して、ほとんど同じルートを往復……じゃなくてまた別の道を歩きますよ!
今回ご参加の皆さま、ありがとうございました。次回もよろしくお願いします!